吾輩のブログである。名前はまだ無い。

大手企業を退職しフリーランスで生きる人間の雑記。福岡にいるよ。

三連休を喜ぶ「方向性」が変わっていたら黄信号かもしれない。

世間では三連休が終わったところなのですね。

会社員時代、三連休というのはやはり嬉しいものでしたし、活用して旅行に行ったりもしていました。

 

連休でリフレッシュして、翌日からの仕事の活力になればいいのですが、こんなことを考えているようだとあなたの働き方はちょっと黄信号かもしれません。

 

休日が3日あることよりも嬉しいのが、その週の営業日が1日少ないこと、ならば。

 

おかげさまで、会社に感謝しながら円満に退職することができました。

が、もっと年次の浅い時、会社員という働き方が嫌すぎて、そんなことを思っていた時期がありました。

具体的な時期の言及は避けますが、某ネットワークビジネスに片足を突っ込みかけていたのもその際です。

 

休みが嬉しい、という感覚自体は至極真っ当なもの。

会社から切り離されて、自由に使える時間。休息に、趣味に、リフレッシュに、家族サービスに。どんな使い方をしてももちろん構わないものです。

 

ただし、それが「仕事という苦痛から逃れる時間」にまでなっていなければ、です。

 

1週間は7日間。カレンダー通りに休むならば多くは5勤2休。

休みを休みで楽しみにすること自体は何ら問題はありませんが、その休日のために平日を「耐え忍ぶ」ような1週間のサイクルを迎えているとすると、ちょっとまずいじゃないかと思います。

 

休みと仕事で、だいたい3:7。

人生の7割を「耐え忍ぶ」ような感覚で過ごしているとするならば、その働き方、というよりも生き方がもったいないとは思いませんか?

一度しかない人生。挑戦するもしないも本人の勝手ですが、80年とか100年とか、長いようで「他人」に捧げているほどの余裕はありません。

 

家族だとか、大切な人に自分の時間を使うということは、もちろん自分の人生を充実させるための手段として立派な選択だと思いますが、

 

果たして仕事が「自分の時間を使う」に相応しいものになっていますか?

 

100%そうだと断言することができる人も中々いないとは思いますが(僕も現在の活動の全てが本当にやりたかったことに合致しているかというとそうでもないです。)

少なくとも、仕事に行く日が減ることが休みが多いことよりも嬉しいとすると、その仕事に自分の時間を使っていること自体を見つめ直した方がいいかもしれません。