吾輩のブログである。名前はまだ無い。

大手企業を退職しフリーランスで生きる人間の雑記。福岡にいるよ。

○○する時はガキや老人を人間と思うな。動物と思え。

「福岡 運転 マナー」の画像検索結果

 

「パッと見温厚な外見から耳を疑うような暴言が呼吸するように吐き出される」

 

でおなじみのマエダユウタです。

本日もいつも以上に過激なタイトルで失礼します。

 

タイトルからすでに引いてる方もいらっしゃるでしょう。


僕は普段暴言の対象としているのは、結構共感を集めるような
「既得権益」だったり「痛い人たち」だったり。
こんなあからさまな弱者攻撃をする人間だとは思っていなかったと。

 

まぁ落ち着いてください。上のようなことを思うのは特定の場合だけです。

 

すなわち、運転するとき、です。

 

ゴールデンペーパードライバー

僕が普通免許を取得したのは、2011年。
技能、学科ともに問題なく通過しました。

 

その後、2017年に2度目の更新を迎え、晴れてゴールド免許となりました。

 

 

その間、

 

 

 

利用回数

 

 

 

 

2回。

 

 

 

無事故無違反無運転です。

 

そんな僕が地方転勤になり、営業において自動車の運転が必須。


しかも、走るのは恐ろしいことに、「交通マナーが悪い」でおなじみの福岡。

 

博多の人は北九州を「修羅の国」などと言ったりするようですが、
僕からすれば唯一交通面においては

 

博多こそ修羅の国です。

 

人間は地獄に落ちることを恐れている。だが視点を変えてみよう。
もしかしたら、今いるこの世がすでに地獄なのかもしれない。

 

技能の低いドライバーが事故を起こさないマインド

部の予算を食いつぶして教習所に通った結果、現在の僕の運転スキルは

「並以上」

にはなっているかと思います。

 

ただ、僕は元来運転が得意な方ではありませんし、

何を差し置いても

 

集中力が絶望的である

 

という自覚が東京という車を必要としない地において、

僕を運転から遠ざけてきた最大の要素です。

 

そんな人間がこの地において事故を起こさないための秘訣は

 

相手が、自分の思う「合理的な行動」をとれることを期待しないこと。

 

 

教習所でこんなことを習いました。

 

・「だろう」運転

→「~だろう」という甘い見立てで行う、事故につながりかねない運転

 

・「かもしれない」運転

→「~かもしれない」という悲観的な見立てで行う、事故を避けるための運転

 

ですが、僕が福岡で運転するにはもうワンランクあげる必要があります。

 

・「違いない」運転

→「~に違いない」という絶望的な見立てで行う、事故を絶対に避けるための運転

 

恐ろしいことに福岡では人間不信になるくらい絶望的な見立てを行っても、

2割くらいは現実になります。

 

「守る」ことと「見下す」ことは完全には分断しえない

さて、ここまで書けば僕の冒頭の暴言の真意もほぼほぼご理解いただけていると思います。

 

とはいえ、その物言いはちょっとどうなのよ?って?

 

これくらいのマインドじゃないと、いつか撥ねますよ。

 

運転において、「交通弱者」の「保護」の重要性を解かれます。

 

なぜ、保護しなければいけないかというと、弱いからです。

 

この意識は広義には差別です。

が、この意識なくして「守る」ということは成立しえません。

 

 

何よりも大切な、相手の命を尊重するために、相手の能力を蔑む

ことは時に必要悪です。

 

幼少時からの歪んだ正義感は健在。