九州の社窓から

サラリーマン 兼 投資家 兼 ブロガーの転勤を機に始まった九州と東京のデュアルライフを綴っています。投資、働き方、旅など気の向くままに。

ミサイル落ちてこなくったって人間の致死率は100%じゃん

「ミサイル」の画像検索結果
 
北朝鮮のミサイルが通過した、ということで怖いですね。
 
お盆期間に北朝鮮が騒がしかったころはお隣韓国におりました。
僕は自分がいるところにはミサイルは落ちてこないと確信しているので、特にビビりません。
 
僕がルーレットのレイアウトに投下したミサイルは悉く外れて財政破たんしましたから
北朝鮮もそうなるんじゃないの?(適当)
 

 

【自分がいるとことろが被弾しない確信について】

 
確信の根拠についてですが
 
 
 
 
 
特にありません。
 
 
心配していたって仕方のないことなので、気にしないことにしてるだけです。
 
なお、ミサイルが落ちてこない確信について根拠はありませんが、
一つだけ明白なことがあり、そちらについて確信を持っています。
 
 
僕の根拠なき確信が外れたとき、
 
別に僕は外したことについて誰かに謝る必要などない
 
ということです。
 
だから適当に大口叩いときゃいいんだよ。
 

 

【人はいつ死ぬかわからないけど・・・】

当たり前ですが、当然のこと。今こうしてブログを書いている中で、大地震が起きるかもしれないし、下の階が燃えていて逃げ遅れるかもしれないし、小型機が窓から突っ込んでくるかもしれない。

ただ道を歩いていたって、暴走トラックが突っ込んでくるかもしれないし、強風で看板が飛んでくるかもしれないし。上から自殺志願者が降ってくるかもしれない。

メシ屋でご飯を食べるという一般的な行為ですら、フグの処理ミスで毒にやられるかもしれないし、食中毒にかかるかもしれないし、卵を喉に詰まらせるかもしれない、

何もなくても突然人体発火するかもしれないし、謎の病で心臓発作を起こすかもしれないし。

 

我ながらよくもまあこれだけポンポン出てくるなと怖くなりますが、

 何が言いたいかというと、「生」という現在の結果と、「死」という未来の結果を結びつける過程って無限にあるけど、結果としてあるものって一つだけなんですよねってこと。

そして、その結果は遅かれ早かれ 万人に約束されたこと。

 

【「いつ死んでもいいよう後悔なく生きろ」】

 よく言いますね。概ね同意します。
僕はまだ成し遂げたい、成し遂げていないことは沢山あります。
道半ばで倒れることを自覚できる状況になったとして、それを悔いるのか、それともそれはそれで駆け抜けていたと諦められるのかはわからない。
 
けれども、仮に今成し遂げたいことを全て達成したとして、じゃあそこで残りの人生すべてロスタイム、とはならないはずで、また成し遂げたいことが生まれそれが終わるとまた・・・と繰り返すんじゃないかな。
 
結局のところ、命には限りはあるけれど、意思には限りがないので、人生っていうのはそこに折り合いをつけていくプロセスになるんじゃないかなと思うミサイル日和でした。