九州の社窓から

サラリーマン 兼 投資家 兼 ブロガーの転勤を機に始まった九州と東京のデュアルライフを綴っています。投資、働き方、旅など気の向くままに。

明日死んだって世に遺せるものがブログです~何気ない一言に現れた本音~

先日、運営している投資スクールの生徒さんとメッセしていて、何気なく出た一文に

自分でもハッとしました。

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「明日死んだって世に遺せるものがブログです」

 

 

 

こんにちは。ブロガーのマエダユウタです。

 

いま僕がブログを続けている理由、

キツい記事や、特定の属性に批判的な記事を書くたびに

Facebookの友達を減らしながらも

このスタンスを緩めない理由w

 

これっぽい、って挙げられる理由は言えるものも言えないものもたくさんありますがw

意図せず出た一言、一文に奥底の本音が出てきたような気がしたので記します。

 

【インターネットに半永久的に残る文章】

この世において、インターネットが消滅する時、というのは、

人類が消滅するとき、もしくは、地球が消滅するとき

とニアリーイコールかと思います。

 

もちろん、その時までに、何らかの事情でこのブログが消し飛んでいる可能性は

十分あり得るわけですが、逆にその瞬間まで残っている可能性もあり得る。

 

2017年に確かに存在していた人間によって書かれた文章が、永い時を経て、同じ時代を生きていない誰かに影響できるかもしれないのってなんか面白いよね。

 

かつて、それは有名な物書きの特権だったかもしれない。

けど、今の時代、それが一個人にできるわけですよね。

 

【某海賊漫画の名言に見える死生観】

 

「人は、いつ死ぬと思う?」

「人に忘れられた時だ」  (byヤブ医者)

 

リアルタイムで読んだときはまだ小学生だったと思いますが

(ほんっっと終わんねーな)

 

痛烈に記憶に残っています。

生物にとって、避けることのできない「死」ですが、

「忘れられない」という手段を通じて、それを克服したのが、人類。

 

もしかしたら僕は、「死にたくない」という人類共通の?願望を、

自分の分身たる文章を仮想の世界に残すことで、

実現しようとしているのかもしれませんね。

 

【そこに遠慮があるのって自分にも相手にも失礼じゃない?】

ということを常日頃から考えて暴言を吐き散らしているわけではないんですがw

けっこう全うな結論に行き着きそうな気がする。

 

そうやって残した自分の分身たる文章に、「どうみられるか」「こう見られたくない」

なんて思いが入っていたら、なんか違う。

 

もちろん、文章として残っていれば

「こんなこと書いた奴がいたんだ」

という認知を残すことはできるけれど、そこまで。

 

「こんなことを考えて、発信していた奴がいたんだ」って

書いた裏側まで思いを馳せてくれる人がいて初めて、

「後世に自分を遺した」といえるようになると思うんです。

 

別に後世に名や存在を残したいがために書いているわけではないけどね。

ふと思ったので書いてみた。

こういうことを記せて発信できるのもブログのいいところ。